『褒めるとは』
『継続は力なり』、なんてよく言われますが、正直継続することって難しいです。
特に、「あまり好きじゃないけどやらなくちゃいけないこと=“勉強”」なんて、もっと続けるのが難しいハズです。もし続けてできているという人は、大概、テストの点数が上がった、といったような「代価・満足」を得ているのではないでしょうか。だとすれば、「結果が出ないと継続することは難しい」、という仮説が浮上して来ます。
ただ、たとえ成果が出なくても、「努力の代価」は得ることができます。
それは、「自分の努力が承認される時」です。
先日、そのことを改めて実感した出来事がありました。
授業終了のチャイムが鳴り、ある生徒(受験生)が持ってきた授業日報をチェックした際、私はその生徒に、宿題をきっちりやってきたことを褒めました。その時の生徒のリアクションは、特筆するところは無くいたって普通。しかし、異変はそのあとやってきました。
その生徒が自習スペースに向かってからほどなくして、別の生徒(受験生)がすごい勢いで私に詰め寄ってきたのです。そして開口一番、「私も褒めて!」とねだってきたのです。
どうやら私が先の生徒を褒めたことを聞きつけて、「教室が開いた時間から閉まる時間までずっと勉強しているんだけど(そこは認めてくれないの?)」と、勉強からくるストレスをぶつけてきたのでしょう。「あなたがずっと努力していることは知っている。休まず勉強し続けているのは本当にすごいと思うよ」とすかさず私は言いました。目の色を変えるような反応は特になかったのですが、その生徒は再び自習スペースに戻って、黙々と勉強を再開させました。
『受験生なら勉強して当たり前』確かにその通りなのですが、誰しもが自分の努力を認めてもらいたいものです。たくさん勉強したからといって、模試の成績が急に上がるとは限らない(下がる場合だってある)。勉強した分の実力はついているハズなのに、努力が成果に繋がらない。そんな思いを抱いている生徒たちを一番近くで見ている大人こそが、彼らの努力をまず最初に認めてあげないといけない。
稲門学舎の教師信条は「長所を褒め伸ばし、夢を与える」。私たちは生徒の“いいところ”をこれからも積極的に褒めていきます。
実はかく言う私も、褒められてやる気になった経験が最近あるんです。
私は手習い事として、「ボイストレーニング」を続けているのですが、「関谷さん、いい声ですね」と褒められて気持ちが良くなり、それ以来、以前にも増して“やる気”が出て来たんです。
生徒の立場になってみて、『褒めること』って大事だなと、身をもって感じました。