『学ぶということ 』

秋の夜長、虫の音が心地よい季節となりましたが、お元気でしょうか。

先月は小学校の算数で習う「円周率」を切り口に、本質的に学ぶとはどういう事かについて書かせて頂きました。

「なにを覚えたか?」に留まらず、「なぜそうなのか?」まで掘り下げる事が大切だ、という観点です。
「なに」…円周率が3.14である。
「なぜ」…円周率が3.14であるのはどうしてか。

学びの重み⇒「なに(what)」≦「なぜ(why)」

 
先月の室長レターの後半部分で、東大数学の確率の問題を解いた中学二年生がいるというお話をさせて頂きました。その生徒の授業において、最近、数学の平面図形が扱われた事があり、その際以下のような場面がありました。

先生「では質問です。n角形の内角の和が180°×(n−2)で表されるのはどうしてか?」

 
生徒「まず三角形の内角の和が180°です。そして、角が一つ増えるごとに内角の大きさが三角形一つ分(180°)ずつ増えるからです」

 
先生「正解!では次。n角形の外角の和が常に360°になるのはなぜか?」
 

生徒「…(考えている)…」
 

先生「はい、確かにここは少し難しいね。では『360°になる』ということだけ覚えておいて、先に進もうか」
すると、先生のその言葉に対して、
 

生徒「いやです!どうして360°になるのか考えます!!」
と、外角の和が360°になる理由を、解明せずには先に進めない様子でした。

その流れの中で、先生は授業内で理由について解説をする事になりました。
更に、それだけにとどまらず、「多角形の外角の和が360°になる理由について説明をする」という宿題が、その生徒へ課される事になりました。

ここで申し上げたいのは以下のような事です。
“本質を学ぶ子は、自らそれ(本質)を求める”

目が離せないポイントです。
先月の補足のような形で、なおかつ端的な内容ではございますが、今月は以上で失礼させて頂きます。

これからの季節、朝夕冷え込んでまいりますのでお身体にお気をつけください。

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