『分からない事が分からない① 』

『分からない事が分からない① 』

 
朝夕冷え込む季節になりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

先日ある生徒が発した次のような質問が印象的でした。 そこから少し話を膨らませてお話をさせて頂ければと思います。
今日の長文読解問題は、自分で何が分からないのかが分かりませんでした
国語の読解問題を解いた生徒が、こんな質問をノートに書いて提出してきました。

学校(子供社会)でも、会社(大人社会)でも、よく「何が分からないのか、それを明確にしてから質問をする」という考え方が一般的です。 そのため、もやもやとした疑問があるけれど、それが何なのか自分でわからない場合は、質問をすること自体が出来なくなってしまいます。 そうすると疑問も晴れませんし、のど元に物がつっかえたような感覚と共にその後を過ごすことになります。

皆様、そのような体験をしたことはございませんか?
今回の生徒も「何が分からないのかが分からない」という質問をすることを恥ずかしい事と考えています。

話は変わりますが、ここであるエピソードを紹介しましょう。
ある経営コンサルタントの方が執筆した本に書かれていたお話です。 (話が外国まで飛んで行ってしまいますが、少々お付き合いください)
そのコンサルタントの方が若かりし頃、アメリカの超名門ハーバード大学に留学をしました。
あまりに難解な授業を目の当たりにした彼は、その時の教授に似たような質問をしたことがあったそうです。 しかし、相手は世界の名門ハーバード大学の教授。 そもそもそんな質問をすること自体、許されるのでしょうか。 (ハーバード大学には適切な手順でアポイントを取れば教授と直接面談ができるステムがあったそうです)

アポイントを取った彼は、面談の場で教授に以下の質問をぶつけました。
私は、何が分からないのかすら分かりません。教授の扱っている授業では、何が問題となっているのでしょうか?
すると、教授から返ってきた言葉は以下のような賞賛の言葉でした。
君は素晴らしい(優秀な)学生だ。握手をしてほしい
始め、彼は教授に「馬鹿にされている…?」と感じてしまったそうです。
しかし、当然ながら、教授は決して彼を馬鹿にしたわけではありません。 では、教授の真意は一体なんだったのでしょう。
分からない事が分からないは良い事なのか?それとも悪い事なのか??

さて、この問いの答えにつきましては、次回のレターまでお時間を頂戴したく存じます。 お待たせをして誠に申し訳ございません。
受験生の皆様、そして保護者の皆様、体調管理には十分お気をつけてお過ごしください。
 

 

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