『難しくなるほどに、その必要性は増す』
先日かつての教え子(N君)から、今年5月に受験した司法試験の結果について報告メールをもらいました。
*ちなみに、司法試験というのは、弁護士・検察官・裁判官のいずれかの職に就くために必ず受けて合格しなければならない試験のことです。
N君の結果はというと、残念ながら今回は涙をのむ結果になったとのこと。メールの文面から、N君の落ち込みが垣間見えたため、直接会って話をすることにしました。
N君は、司法試験の勉強を始めて以来、成績はずっと優秀で、彼が受からないはずはないと、周囲の誰もが思っていたほどでした。
久しぶりに会った私に、N君は次のような話をしてくれました。
「悔しすぎて、昨日から一睡もできず、何も食べていません。なぜ、自分が落ちて、他の人が受かったのかわからないんです。みんなは合格してこれから弁護士として働いていけるという明るい未来があるのに、自分にはどこにも行くところがない。これからもう1年、どうモチベーションを保って勉強していけばいいのかわかりません。これからを考えると怖くてたまらないんです」
N君のこの言葉を読んでみなさんはどう思いましたか?
N君には申し訳ないですが、私はN君のこの言葉にえらく感心しました。なぜなら、彼が心からの本音を語ってくれていることが伝わってきたからです。
本音を話すということは、人に見せたくない、知られたくない部分を人前でさらけ出すということです。したがって、そこには大きな勇気が必要となります。しかもその大きさは、年を重ねれば重ねるほど増していきます。
そんなN君に私はこう言いました。
「まずは、この現実を受けとめよう。そして、何がいけなかったのかをよく考え、弁護士になりたいという夢を抱いた頃を思い出して、諦めずに再スタートを切ってみよう。N君ならそれができると信じている。心から応援しているよ」
この言葉が、そのときのN君にどう響いたかはわかりません。ただ、彼の本音に対し、心からのエールを送ったつもりです。結果的に、彼は少し落ち着いたようで、牛タン定食をもりもり食べていました(笑)。
みなさんには、身近に本音をぶつけることができる人はいますか?
傷つきたくない、傷つけたくないと思い、本音を出すことを避けてはいませんか?
人は、本音を話すことで、その思いを相手に届けることができます。その積み重ねから、本当の信頼関係が築かれていくのだと思います。
もしみなさんの中に、本音を出すことができず悩んでいる人がいれば、ぜひ稲門学舎に来て下さい。本音でぶつかることのできる多くの教師陣・教務スタッフが、みなさんをお待ちしています。